大判例

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東京高等裁判所 昭和39年(ツ)104号 判決

上告人 藤崎好江 被上告人 飯村善弘

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由第一点について、

原判決が、亡飯村ナヲは同人の長男兵一死亡後の昭和一九年一二月二八日右ナヲの長女である安井志津江、次女である上告人等に、ナヲ所有の本件不動産に対する相続上の権利を予め放棄させて、右兵一の長男である被上告人に、同人が成年に達したときに、本件不動産の所有権移転登記手続をすることを約して、本件不動産を贈与したとの事実を認定していることは、上告人主張のとおりである。相続の抛棄については、相続開始後に家庭裁判所に申述がなされ、家庭裁判所がその申述を受理する旨の審判がなされて、初めてその効力が生ずることは上告人主張のとおりである。しかしながら、被相続人が生前その所有の財産を第三者に処分することは自由で、その場合には、将来その財産を相続する者に予め遺産相続権を抛棄させることは全く必要のないところであり、原審の認定している予めの相続上の権利の抛棄ということは、たんなる一つの事情としての意味で認定したに止まつて、飯村ナヲから被上告人に対する本件不動産の贈与の効力には直接関係のないことであるといわなければならない。従つて、原審が相続抛棄の審判の点についてなんの審理判断をしていないのは当然で、原審の認定判断には、上告人主張のような法令違背の点はないから、論旨は理由がない。

上告理由第二点について、

上告人主張のように、甲第一号証の契約書が昭和十九年十二月二十八日に作成せられ、上告人がその当時十五才であつたことは、本件記録により明かに認められる。原判決の掲記する諸証拠によれば、甲第一号証の上告人に関する部分の成立は十分認めることができるし、同号証の上告人に関する相続上の権利の予めの抛棄の部分は、上段判示のようになんら法律効果の生ずるものではなく、同号証の趣旨も、本件不動産を被上告人に贈与するとの趣旨のものであるから、その当時の上告人に全然理解できない趣旨のものではないから、原審のこの点に関する認定、判断は実験則に反するとか、理由不備というような法令違背はなく、論旨は理由がない。

上告理由第三点について、

被上告人に対する本件土地の贈与契約(甲第一号証)は、上段判示のように、飯村ナヲから被上告人に対してなされたもので、上告人の予めの相続の抛棄は直接法律上なんの効果を生じないものであるから、たんなる事実行為である右甲第一号証に署名、押印をなすについては、法定代理人の同意の必要はないものであることもちろんである。

また、上告人の右行為は取消し得べきものでもない(上告人は、原審では取消の主張をもなしていない)。従つて、原判決には、上告人の主張のように理由を附せない違法はないから、論旨は理由がない。

上告理由第四点について、

飯村ナヲの本件不動産の被上告人に対する贈与契約が昭和十九年十二月二十八日になされたことは上段判示のとおりであるが、その効力がその当時直ちに生じたものか、或は被上告人が成年に達した昭和三十四年十月二十二日に生ずるものであるかについては、原判決の判示は必ずしも明瞭ではない(そのどちらかで、外の日時のことは考えられない)が、上告人主張のように後者なりとして、上告理由を検討する。原審は、飯村ナヲがその以前である昭和二十八年五月十六日本件不動産を上告人に贈与し、その旨の登記手続を了したことと、飯村ナヲが昭和三十五年六月十五日に死亡して、上告人もその遺産相続人の一人であつたことを確定している。昭和十九年十二月二十八日から昭和二十八年五月十六日までの被上告人の本件不動産に対する権利は、飯村ナヲに対して本件不動産について所有権移転の意思表示とその旨の登記手続を求めるという債権上の権利に止まる。右のような権利は債務者がその目的である不動産を第三者に処分し、その登記手続までを了したような場合には、履行不能によつて消滅すると解するのが通常であるが、本件の場合のように、それが将来相続人となるものに処分されたような特別な場合には、被相続人の上記債務を承継する関係にあるのであるから、原判決の判示するように、それだけでは贈与者の上記債務はまだ消滅せず、被相続人が死亡した場合には、相続人がその債務を承継して履行義務を負うと解するを相当とする。そうであるから、上告人は本件不動産に対し、一たんは有効に所有権を取得したものであるが、飯村ナヲが死亡してその遺産を相続すると共に、飯村ナヲの被上告人に対する上記債務を承継したものであるというべきである。従つて、上告人は被上告人に対し本件不動産について昭和十九年十二月二十八日の飯村ナヲの贈与を原因として所有権移転登記手続をなすベき義務がある(所有権移転の日が昭和十九年十二月二十八日であつても、上記の論理は全く同じである)ものであるから、この趣旨の被上告人の本訴請求を認容した、原判決の判示は正当で、上告人主張のように、法令の解釈を誤まつたとか、論理が一貫せず、理由不備の違法があるということはないから、論旨は理由がない。

本件上告は理由がないから、民事訴訟法第四〇一条によつてこれを棄却し、上告審での訴訟費用の負担について同法第九五条、第八九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 村松俊夫 江尻美雄一 杉山孝)

別紙 上告理由書

第一点原判決はその理由中に於いて

「甲第一号証及び前掲各証人の証言並びに当審証人宮本半三の証言によれば亡飯村ナヲは同人の長男英一の死亡後の昭和一九年一二月二八日右ナヲの長女安井志津江、次女である被控訴人等にナヲ所有の右不動産に対する相続上の権利を予め放棄させて右英一の長男である控訴人に同人が前記成年に達したときに右不動産の所有権移転登記手続をすることを約してこれを贈与したことが認められ」

と判示して甲第一号証契約を以つて直ちに相続権抛棄の効力の発生を認定したのは左の如く法令の違背あるものである。

甲第一号証第三項によれば

「甲ガ本契約ノ履行ヲ為サザル内遺産相続ヲ開始シタルトキハ其遺産相続人飯村志津江及飯村好江ハ其遺産相続権ヲ抛棄スルコト」

とあり、上告人(飯村好江)及上告人の姉飯村志津江は相続開始前に遺産相続権を抛弃する旨の特約をなしているのである。然し斯る相続開始前に予め相続権の抛棄を約せしむるが如き特約自体の有効は暫く措き斯る特約だけでは相続権抛棄の効力が生じないことは明白である。

即ち相続の抛棄をしようとする者は相続開始后家庭裁判所にその旨を申述しなければならないし(民法第九三八条)家庭裁判所はその申述を受理するか否かに付審判を行わねばならないのである(家事審判法第九条第一項甲類二九号)以上のような手続を履践して家庭裁判所が相続権抛棄の申述の受理をした旨の審判を為して初めて相続権抛棄の法律上の効果が発生するのである。従つて仮に本件のように将来相続開始の場合その遺産相続権を抛棄する旨の特約を為したとしてもその特約は遺産相続人を拘束するものではなく相続開始の場合その特約を無視して相続を承認しても差支えないのである。蓋し相続は旧法の如く身分権の承継を伴わなくなつたとは云え被相続人との特別の身分関係を基礎として相続開始の時に被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するものであり、従つてその権利抛棄についても一般の権利の処分とは異る方式を定めたものと謂うべきである。特に子の均分相続を定めた現行相続法に於いては旧法に因る長男相続制度の惰性に基き共同相続権の何たるやも充分徹底されないままに弟妹らが不当に相続権を抛棄させられるような弊を防ぐためにも斯る厳格なる抛棄の方式が定められたものと解すべきである。従つて原判決が認めるように仮に甲第一号証の如き特約が有効と仮定してもこの特約だけでは上告人が被上告人に対して本件土地の所有権を移転すべき義務は発生しないのである。上告人が右特約の履行として飯村ナヲが死亡し相続開始した際相続権を抛棄する旨を家庭裁判所に申述しその受理の審判を経て相続権抛棄の法律上の効果が発生した後初めて上告人は右特約に基く所有権移転の義務が生ずるのである。然るに上告人は初めより右特約の成立を否認し居る程にて勿論相続権抛棄の申述等の手続を全く履践してないのであるから被上告人が右特約の履行として本件土地の所有権移転登記を求むることは法律上失当であることは明白である。

然るに原判決が前記の如く甲第一号証特約を根拠として上告人の本件義務を認定したのは法令の解釈を誤り不当にその適用を為した違法があるものであつて斯る原判決の法令違背は勿論判決に影響を及ぼすものなるを以つて之を破毀するのが相当である。

第二点原判決には左の如き法令違背か又は理由不備があるものである。

甲第一号証契約の成立年月日は同号証の記載によつて明白なように昭和一九年一二月二八日であり、上告人の生年月日は甲第二号証によつて明白なように昭和四年二月一〇日であるから右甲第一号証作成当時の上告人の年令は僅かに十五才にしか過ぎなかつたのである。上告人は右契約書を見たこともないし、拇印をしたこともない旨述べている(第一審本人調書五五丁)

この点について何故か原裁判所は措信し難いと判示して居るが拇印の如きは鑑定によつて真偽が明白になることである。然し原審に於いて鑑定を求めなかつた上告人としては右判示に対して今云々出来ぬことではあるが仮に原裁判所認定の如く上告人の拇印であると仮定しても十五才の年令では斯くの如きデリケートな法律関係に付拇印を押すことが如何なる法律効果を生ずるかなどと云うことに付果して正当な弁識力を有したか否か極めて疑問である。吾人の実験則によれば十五才前後の少年少女にして知能の発育程度普通なものにあつては社会生活上の単純な事象に対しては一応の是非善悪の弁識力を有するものであるが法律行為の如く稍々専門的な判断を必要とする事柄に対しては親権者などの特別な助言とか或は特別な環境の下に特殊な教育を受けたとかの特殊な事情のない限り弁識力を持たないのが普通である。本件の場合上告人に当時特別な弁識力を有したと認められるような特殊事情は何一つ見当らないのである。従つて上告人がたとい原判決認定のように甲第一号証契約書に拇印したと仮定しても当時十五才に過ぎなかつた上告人の知能程度ではその行為の結果を充分弁識出来なかつたものと推定するのが吾人の実験則上妥当である。若しそうであるとすれば、上告人の意思表示は無効であつて右契約は上告人に関する限り無効であると云わねばならない。然るに原判決が上告人が拇印をしたと云う外形的事実のみにとらわれ果して十五才の少女であつた上告人が有効に法律行為を為し得たか否かに付判断を加えなかつたことは判決に理由を附しなかつたか或は実験則に反して事実を認定する等の法令違背を犯しているものと云うことが出来る。依つて原判決は破毀せらるべきものである。

第三点仮に第二点所論に百歩を譲り、上告人の拇印に依つて甲第一号証契約が有効に成立したと仮定しても原判決には尚左の如き理由不備の違法があるものと思料する。

即ち第二点所論の如く上告人は甲第一号証に拇印当時十五才であつたから未成年者の法律行為として尚民法第四条第一項但書の行為でないから当然法定代理人の同意を得なければならないのである。甲第一号証契約書中には上告人が右拇印を為すに付法定代理人である飯村ナヲの同意を得た旨の記載がないばかりでなく法定代理人が同意したとしても相続の抛棄を内容とする契約であるから旧法では親族会の同意を必要としたのである(旧民法第八八六条第一項第五号)勿論飯村ナヲに於いてこのような手続を履践した形跡は全然ないから上告人の右法律行為は何れにせよ取消し得べき行為であることは明らかである。而して上告人は昭和二四年二月一〇日成年に達したが(甲第二号証)当時之を追認したことがなく甲第一号証契約の相手方とも謂うべき飯村ナヲ、飯村善弘、飯村千代子らより民法第十九条に基く催告を受けたことがないから同条に基く追認の効果も発生しない。却つて上告人は本件土地に付飯村ナヲより昭和二八年五月一六日附贈与に因り所有権の移転を受けたのであるが(甲第三号証)この上告人の所有権取得行為の内容は上告人が右甲第一号証契約に対する取消の意思表示が包含されているのである。

即ち前記の如く甲第一号証契約は上告人にとつては取消し得べき法律行為であるが故に上告人は之を取消し、改めて飯村ナヲとの間に贈与に基く所有権移転手続が為されたのである。斯く解釈することが当事者の意思に合致し実験則に添うものと云うことが出来るのである。何故ならば飯村ナヲが甲第一号証持如き契約を為しながら本件土地を上告人に贈与するに至つた理由は上告人の第一審の本人調書によつて明らかなように嫁である飯村千代子(被上告人の母)が飯村ナヲの面倒を見ないため二女である上告人が送金する等して面倒を見たことから為されたことが推認されるのである。従つて飯村ナヲ及上告人共に甲第一号証契約を取消す意思であつたことは明白であつて、只飯村ナヲに於いては書面に基く贈与であるから直ちに被上告人に対して契約解除の効果は発生しなかつたかも知れぬが、上告人の取消権の行使は前記の如く未成年者の法律行為の取消として有効に成立し、甲第一号証契約の効力を消滅せしめたものと謂うべきである。

斯くの如く、飯村ナヲと上告人との間に於ける本件土地の贈与行為には多元的な内容を包含して居るのであるが、原判決が単に外形的事実のみに拘泥してこの当事者のかくれたる意思表示に対する判断を逸脱したのは判決に理由を附せざる違法があるものと謂うべく破毀せらるべきものである。

第四点原判決はその理由中に於いて

「被控訴人はかりに控訴人に対し右の贈与がなされたものとしても右の贈与契約上の義務は履行不能に帰した旨主張する。しかしながら前記当事者間に争のない事実及び前記認定の事実のとおり右ナヲが一旦控訴人に前記不動産を贈与した後これを更に右ナヲの遺産相続人の一人である被控訴人に贈与した本件のような特殊の場合にはたとい被控訴人のため後になされた贈与による所有権移転登記手続がなされたとしても後日相続の開始により被控訴人がナヲの権利義務を承継しナヲと同一の地位において控訴人に対する義務の履行をなすべき余地は十分にあり云々」と判示している。然し右原判決は左の如く論理一貫せず理由不備の違法がある。

上告人は本件土地に付昭和二八年五月一六日附贈与に基き所有権取得登記を経て(甲第三号証)完全な所有権を取得したのである。その上告人が何故に右原判決判示の如くナヲの相続開始に因り同一不動産に付再度ナヲの権利義務を承継し、ナヲと同一の地位に於いて被上告人に対し義務を履行しなければならないのか、その解釈に苦しまざるを得ない。即ちナヲの相続開始の際(昭和三五年六月一五日)には本件土地は上告人の所有権に属し、遺産相続の対象となる財産ではなかつたのである。

従つて相続財産でない本件土地に付上告人は勿論、その他の遺産相続人が権利義務を承継する余地は全然存しなかつたのである。若し原判決認定の如く本件土地が遺産相続の範囲に入るとすればその前提として前記昭和二八年五月一六日附の上告人の贈与に因る所有権取得行為が無効であるか、又は取消されるかしてナヲの相続開始前にその所有権がナヲに復していなければならぬ筈である。然しナヲの贈与行為には無効又は取消原因となる瑕疵は全然なく、上告人は今日に至るまで完全なる所有権を維持しているのである。原判決は勿論上告人の右贈与に因る所有権取得行為の効力に関して何等論及してないのである。

斯くの如くナヲの相続開始の際相続財産たり得るか否かの前提条件である本件土地に対する上告人の贈与に基く所有権取得行為の有効無効を決定せずして前記の如き判断をした原判決は論理の飛躍も甚だしく理由不備の違法を犯しているものである。

而して甲第一号証契約第二項には

「甲ハ乙ガ成年ニ達シタル上前記不動産及現金ヲ乙ニ贈与シ其所有権移転ノ手続ヲ為スモノトス」

とあり、これによつて見ればナヲは被上告人が成年に達したる時贈与すると云うのであつて贈与の効力は成年に達したるときに発生すると云う趣旨であると解すべきである。

換言すれば、被上告人は成年に達するまでは未だ贈与は受けず只贈与を受ける期待権を有しただけのことである。被上告人は昭和三四年一〇月二二日成年に達したが本件土地はこれよりさき昭和二八年五月一六日既に上告人に贈与されて登記を完了してしまつたのであるから被上告人はナヲに期待権を侵害されたことになるかも知れないが被上告人に対するナヲの本件土地の贈与は履行不能となつた訳である。尚被上告人は登記もなしに単なる右期待権を以つて本件土地に付登記を経たる上告人に対抗出来ないことは物権変動の原則に従つて明白である。

只若干の問題は被上告人より見て上告人が第三者であるか否かであろうが、甲第一号証の贈与契約はナヲと被上告人間の契約であつて上告人は勿論被上告人と直接の契約当事者でないから被上告人からすれば上告人は第三者に該当するのである。

何れの観点よりするも本件土地は甲第一号証契約の履行としては履行不能と謂うべきである。然るに前記の如く認定して本件土地に付上告人に所有権移転登記義務を認めた原判決は法令の解釈を誤り不当に適用した違法があるか理由不備の違法があるものであつて破毀せらるべきものと思料する。

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